今日は長女の誕生日です。20歳になりました。
子供が全て成人して、親としての役割の節目であるとも感じています。
私は男兄弟で育ち、非常に厳しい父のもとで育ったので、女の子の育て方が分かりませんでした。
厳しく育てたほうが良いのかもしれませんが、長男次男の反動で甘やかして育ててしまったと思っています。
長女は発達障害で現在も6歳程度の知能であると診断されてます。
2歳になる前に私の母からこの子は障害があると言われました。
もちろん驚き、専門の病院に何度となく診断に行きましたが、「まだ判断できない」と言われました。
私たち夫婦には受け入れ難い事実でした。加えて正式な診断が出るまで2年以上それを
待つ事になりました。私は当時仕事に 逃げ場を求められる環境だったので良かったのだと思いますが、 主婦であった妻には長い苦悩の日々だったと思います。
診断後は色々な施設や コミュニティを訪ね、娘のために何かしてあげられることはないか模索していました。
でも、娘のためにと思っていた行動は、 自分の 思考を大きく変えるものとなっていきました。
そして今でも娘からも本当に多くのことを学ばせてもらっています。
小さい頃は親子で参加するものも多く、ダウン症のお子さんたちが、ご両親にそっくりで表情も非常に豊かで個性あふれる子たちであることも娘を通して知ったことでした。
発達障害といっても多種多様で、一応病名はついているけど、一人一人違っており、もはや個性と言えるものであること。
娘は、誰かの悪口や陰口を言う事なく、嫌いな人はいないと言う。親バカかもしれないが、娘は誰からも嫌われる事なく、学校や施設の方々からも悪い話を聞いたことがないし私もそう思っている。
「あの人は私のことが嫌いかもしれない」の発信源が自分である事に気づかせてくれたのは娘でした。
何より、現状を楽しみ自分のできる事に誇りを持っている自己肯定感の強い子たちばかりである事を知りました。
周りの方々は娘たちを「かわいそうだ」と思っているかもしれない。
実際昔の私もそう思っていた。
でも、価値観は人それぞれで、私の幸せと思うことが、他人の幸せであるはずがないのだと、どんな事にも前向きで、行事を楽しみにしている娘や友達を見ていると思い知らされる。
今晩は娘は私たちとお酒が飲めることをとても楽しみにしている。
息子たちと交わした祝杯も良いものだったが、また少し違った感情になるのかもしれない。
娘は私の人生の師だからだ。
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